君の手を握り締めて、ひたすら、前を向き歩き続ける。
早足に。
君は、なにも言わずにひたむきに後をついてくる。
早く、早く。
握り締めた手に力を込めて、君に伝える。
「大丈夫、君を守ってみせる」
君は、僕の手を握り返す。
地中深い洞窟内の道は、バラの棘のように尖った石で覆われている。
うっかり、躓き膝をついたなら、この先、歩くこともできなくなってしまうだろう。
手元の微かな明かりを手がかりに、慎重に進む道を決めなくてはならない。
早く、早く。
気持ちだけが焦る。
君が肩で息をしている気配が伝わる。
道は狭く、決して、平坦になることなく登り続けている。
早く、早く。
休むことはできない。
ヤツの気が変わる前に、ヤツが再び立ちはだかる前に出口に辿り着かねば。
どこまでも、終わることが無いように思える坂が続いている。
君の足取りがもつれがちになる。
できることは、君の手を握り締めることしかない。
前を見て、ただ、ひたすら前を見て進むしかない。
汗が滴り落ち、目がかすむ。
水がほしい。
君の呼吸が荒くなってきている。
少し歩みを緩めると、君は背中を押すようにして先へと促す。
早く、早く。
登りがさらにきつくなる。
もう、足取りは、引きずるようになっている。
気が急くばかりで、少しも先に進むような気がしない。
と……
目の前に一筋の糸が視線に入る。
明かり……
出口だ。
外の光が見える。
君を握る手に力がこもる。
君も、微かな光に気がつき、顔を上げる。
君が、手を握り返してくる。
しかし、その手に力は無い。
頑張れ、あと少しだ。
言葉せず君に伝える。
頑張れ、あと少しだ。
心なしか勾配も緩くなったような気がする。
一歩一歩進むたびに、光の糸が大きくなってくる。
あと少しだ。
微かだが、風の流れを感じる。
光が、大きな塊になっている。
出口だ。
あと少し。
出口が目の前に見える。
あと少しだ。
もう、ここまで来れば、ヤツの影に脅えることは無い。
自由だ。
不意に君は、歩みを止める。
手を引いて先を促しても、君は、動こうとしない。
君は言う、小さく、しかし、はっきりとした声で。
「ありがとう……ついにここまで……ありがとう」
君の声にも僕は振り返ることができない。
「ありがとう……でも、わたしは、ここから、先へはいけないわ」
僕は思わず問い返す。
「なぜ、あと少しだ。あと少しで、僕たちは元の世界に戻れる」
君は、僕の言葉に声をかぶせるようにして言う。
「いいえ、わたしは、もう、あの平和な場所に戻ることはできない」
「なぜ……いや……そうかも、しれない……なら……それなら、
僕たち二人で、人里はなれた山の中で暮らそう。
ここより、ずっと、南に下って。
なに、僕にも、少しの貯えはある。
二人で暮らしていくくらいはなんとかなるよ」
君は、頭を振って言う。
「だめ……二人で食べていくことはできるかもしれない。
でも、そうなったら、わたしは、あなたから、歌を奪ってしまう……
あなたから、歌を奪ってしまえば、あなたは、輝きを失う。
あなたは、やがて、その悲しみで死んでしまうでしょう」
僕は、大きく体を振って、答える。
「そんな……唄えなくなったくらいで、死んだりはしないよ……
それに、そうだ、歌を唄いたくなったら、僕は町に下りて、唄えばいい」
「そうね、でも、悪い噂はすぐに広まるわ……
その噂は、やがてあなたから、歌う場所を奪ってしまうわ」
足は完全に止まっていた。
僕は、間近に迫った、出口を見つめ、君の言葉を聴いている。
「ありがとう、あなたの気持ちは、十分にいただいたわ。
でも、わたしは、あの村に戻ることはできない。
わかっているはずよ。
わたしは、もう、ここから出て行くことはできない。
あなたの気持ちは……
さあ、あなたは、一人で、行ってください。
悲しみは、いつか、癒されます。
そして、あなたは、多くの人を救うために唄ってください。
わたしは、あなたと共に行くことはできないのです」
……そして、君は、不意に腕を強く引いた。
思わず君を振り返ってしまう。
君と目が合った。
君の唇が、「ありがとう」と動くのがわかった。
闇の中から、ハーデスの声が響く。
『オルフェウスよ、ついに、振り返ったな……約束通りエウリディーケはつれて帰る』
エウリディーケの体が、風に弄ばれるように、地中へと戻っていくのが見える。
洞窟の出口には、ひとり残されたオルフェウスの姿が……
【あとがき】
え~~
ギリシア神話のオルフェウスとエウリディーケの話を僕なりに解釈したものです。
最初のうちは、犯罪を犯した(巻き込まれた)女が男と一緒に逃げる、
という、雰囲気を出しながら、実は、神話だったと……
企画倒れだったかな……ちょっと、弱気だったりする。